top of page
検索


悪炭に事故続出 青息吐息の遅い汽車(記事抜粋)
(前略)…ところが同日(23日)芸備線備後落合~道後山間では、上り旅客802列車は不良炭のため速度低下し、ついに自然停車となり山峡に立往生。機関士必死の努力で15分で発車したが、道後山駅には青息吐息で25分遅れて到着し…(後略) 中国新聞1947年(昭和22年)12月25日付

小鳥 原
1月26日読了時間: 1分


小奴可の空巣狙い
比婆郡小奴可村字小奴可、農業小川茂美(27)は、去る10日午後4時ごろ同村の宮田菊衛門方の空巣をねらい、衣服18点・時価8万円を窃取し、午後5時ごろ道後山駅を徘徊中を寺田巡査に逮捕された。 中国新聞1947年(昭和22年)10月24日付

小鳥 原
1月26日読了時間: 1分


落合駅の火事
26日午後5時10分ごろ、芸備線備後落合駅官舎から出火。機関車官舎(2階建)および乗務員休憩所を全焼。工夫長官舎を半焼して6時すぎ鎮火した。出火原因・損害は取調中。 中国新聞1948年(昭和23年)11月29日付

小鳥 原
1月26日読了時間: 1分


駅員の役得利用
比婆郡八幡村備後八幡駅職員妹尾康登は、駅員の地位を利用し白米1斗を箱詰にして、鉄道公用荷札を利用し12日広島市に輸送しようとしているところを検挙され、食糧管理法違反で取調中であるが、同人はいままでにも同様手段で数回にわたり輸送している事実もあり、庄原地区警察署では厳罰でのぞむ方針である。 中国新聞1948年(昭和23年)12月24日付

小鳥 原
1月26日読了時間: 1分


1947年道後山ヒュッテ経営関連
さつきの見頃 道後山はヒュッテに 深緑のシーズンに入って山ファンから道後山"山の家"が利用できるかどうかと広鉄当局にいろいろ問合せがくるので、広鉄ではつぎの意向を表明して一般の疑問に答えた。"山の家"は当分利用できないが、その上方に「道後山ヒュッテ」があるから利用されたい。もっともこのヒュッテは民間所有で鉄道経営ではないから、当局が直接登山客誘致の宣伝をやってはいないが、道後山駅長に前もって連絡すれば団体客などの宿泊は斡旋してくれるはずである。炊事・宿泊施設とも完備しており、120名くらいの収容力を持ち一日3食付で40円くらい(但し主食は持参のこと)5月下旬ごろから全山"さつき"の見頃となる。 中国新聞1947年(昭和22年)5月21日付 身代り"山の家"ヒュッテを借入れ 道後山に広鉄名物二世 昨秋から使用できなくなった広鉄名物道後山"山の家"に代わって道後山ヒュッテが登場したが、同ヒュッテは地元の木村春枝さん(広島県比婆郡八鉾村)の個人所有で、バラック程度の廃屋に20万円を投じて手を入れ営業をはじめたものだが、個人資力では山の家に匹敵する施設が

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 3分


降雪で送電不能(記事抜粋)
(前略)…また広島管理部管内芸備線では、15日午後7時58分ごろ上り896列車が落合駅で雪のため給水補給が出来ず、約58分遅れた。一方雪不足をなげいていた道後山では16日朝6時現在で135センチとなりスキーヤーたちを喜ばせた。このため同山の山の家の15日夜の投宿者は41名であった。 山陽新聞1949年(昭和24年)2月18日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


広鉄保線技術研究会
保線技術の向上を目指して広鉄では管内各保線区技術者のものした研究論文の発表審査をを行うことになり、13日本局会議室で保線技術研究会を開催した。入賞者は次の通り。 甲賞多胡定男(東城)池田金太郎(広島)乙賞高田吉男(下関)高橋哲明(岡山) 中国新聞1947年(昭和22年)6月15日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


道後山へ「自然科学列車」
値上げ実績上らぬ広島管理部では、公共事業体切替前の追込み戦術として、学者さんのお力拝借で「自然科学列車」を芸備線に走らせる。第1回は21日午前9時56分広島発で同夜は道後山1泊。文理大堀川教授ら生物学者から高山植物の実地説明を受け、22日夜7時半帰広するプランで、費用はバス代・ヒュッテ宿泊料ふくめて学生490円・一般600円。これが好評ならば、教授陣を組み替えて28日・4日とヒュッテ閑散期を学生さんに大いに利用してもらおうと、学校側に盛んな勧誘を行っている。 中国新聞1949年(昭和24年)5月18日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


愛の囁きは高原 アベック列車初登場
運賃値上げ後、旅客ガタ減りで国鉄またまた青息吐息の難航ぶり。値上げが広鉄の大黒帳にどう影響したか、値上げ前後5日間の模様を拾ってみると、値上前の4月26日から月末までの乗車人員364万名に対し値上げ後5日までは336万名で28万名の減少。その収入は5,730万円で3,000万円近くの減収とは当局もくさるはず。その後一向に成績が上がらず値上げをなぜしたかと頭をひねっているが、広鉄旅客課では危機突破の増収策として考えたのがアベック専用列車。東鉄に"子供専用列車"の先手を打たれて口惜しがった広鉄の苦肉策アベック列車は、この自由恋愛時代に映画館の隅とかオフィスの裏でこそこそと愛のささやきを交わすより、高山植物やツツジ・ツリガネソウなどがらんまん咲き競う夢の別天地道後山公園でのびのびと胸の思いをうちあけなさいという親心?からで、試験的の第1回は5月の週末28日に行われる。 定員250名つまり125組が、広島駅9時56分発810列車に専用客車2両を増結。道後山着14時43分、アベックバスでヒュッテまで運び、同夜は催物など行い甘い夢を結ばせ、翌日は野生のシイタ

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 2分


「山の家」の運輸事務官が収賄
広島県比婆郡八鉾村県立公園道後山の「山の家」に勤務中の広島管理部渉外局運輸事務官中原昇(42)は昭和22,3両年度の薪炭購入を比婆郡八鉾村の堀数保(38)同山口照之(32)の両名からあっせんしてもらい、謝礼金として両人から十数万円を入手した容疑で比婆地区署で取調中であったが犯行を自供。比婆地区署では7日身柄および一件書類を送庁した。 中国新聞1949年(昭和24年)7月8日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


鉄道自殺
比婆郡久代村字為重農業宮田健一さん(65)方長男博美さん(26)は、東城町字福代下隠地で7日午前5時25分ごろ芸備線下り列車に飛込み自殺した。原因は数日前両親が博美さんの妻八重子さん(23)を離縁させた農村の封建制による厭世自殺である。 中国新聞1949年(昭和24年)7月11日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


山の家は悲鳴 涼求めてどっと殺到
本格的な酷暑の連続から、涼を求めて山へ逃げ込む青壮年のラッシュで広鉄"山の家"はどこも超満員で久しぶりのエビス顔だが、広鉄旅客課に達した各地の山の家レポは定員260名の道後山山の家は平日で100%、土・日曜は400名近くが殺到。秋吉台山の家も平日70%、ラッシュの日には定員24名に40名近くがつめかけ、渋川・光もそれぞれキャンプ代だけで採算が取れるという繁じょうぶりで、当局ではキャンプと寝具の関係で収容力のないのをなげいている。 中国新聞1949年(昭和24年)8月4日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


道後山は招く ヒュッテ一般に開放
登山とハイキングのシーズンを迎えた道後山では、野生するイワカガミ・アカモノ・シロモノなどの高山植物をはじめ、道後山の生命を代表するサツキ・ツツジが咲きはじめ、山への誘惑をそそっているが、広島管理部ではヒュッテを開放し一般の便をはかる。 ヒュッテは定員80名。1泊20円。食事は1食20円(主食持参)でまかなってくれる。 中国新聞1948年(昭和23年)5月24日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


広島直通線 上下地区輸送協力会が要望(一部抜粋)
(前略)…なお観光帝釈峡を中心とした上下-東城省営バスの実現を当局と懇談し、物資豊富で交通不便な神石郡の希望が述べられ、甲奴・神石・比婆3郡と足並みを揃えて実現を決議した。 中国新聞1948年(昭和23年)5月21日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


スキー講習会
広鉄・交通公社・広島県スキー連盟共催で、2月7日~9日までの3日間、道後山スキー場でスキー講習会をひらく。 指導員はスキー連盟の木村・齊藤両氏で、一般初心者の参加を特に歓迎している。会費(宿泊費雑費)は200円で2月4日まで交通公社広島事務所または道後山ヒュッテに申込のこと。定員100名、なお現地に貸スキー15台を備える。 中国新聞1948年(昭和23年)1月22日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


福山-東城間バス運転開始
20年秋の水害以来運転休止されていた福山-東城間バスが、今回運転再開と決定。20日から一日2往復して、備北人士を喜ばせている。 中国新聞1948年(昭和23年)5月26日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


スキー客で賑う道後山 芸備線ではラッセル運転
比婆郡東北部小奴可・八鉾村付近は旧ろう31日からの吹雪が2日まで降り続いて1尺4,5寸も積り、所によっては2尺余りとなり道後山スキー場付近は4尺も積もった。芸備線では備後落合から新見間は2,3日とラッセル車も運転した。 中国新聞1948年(昭和23年)1月7日付

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 1分


積乱雲に続く山・山・山… 道後山で忘れるこの世の憂さ
キャンプのシーズンとなった。県立道後山公園はさつき散ってハンカイソウのころとなり、来る日も来る日も集る人々も一日に200人をくだらず、土曜・日曜をかけては350人余りにもおよび、一日2回のバスの往復ではまどろっこしいくらい。ヒュッテでは、所狭しとテントを張った本格的なキャンプマンも見られる。9月頃までは山の家も完全な館備をと急いでいる。 じりじりと照りつける太陽、濃緑の香に酔いながらのぼりきれば、芝生に放牧された馬や牛も一緒に、お山パラダイスがくりひろげられる。ここでは野球やバレーに興ずる一群もあって、ここで気のすまぬ連中は、日本海いずこと中国山脈の尾根の鬼がわら三角点をめざして、三々五々いどみかかる。中には、子供を背にした進歩的なご婦人も見受けられる。 三角点にいたれば、万里の長城ならず隣県との国境にこけむす3尺の石垣があり、これに腰をすえれば日本海からの風に、下界の金づまりや税金ぜめとはしばらくおさらばだ。緑また緑と山々が延々と続き、積乱雲の下に消える。8時すぎごろ、紅に空がいろどられて西に夕日が沈めば、東にはやくも満月がのぼる。この時のお山

小鳥 原
2025年12月30日読了時間: 2分


列車に石を投げる
10日芸備線小奴可~道後山駅間で875列車に何者かがこぶし大の石を2個投げつけガラス窓をこわしたが乗客には傷害はなかった。 東城地区署ではただちに犯人を厳探したところ、 小奴可村字 内堀農業上田キクヨ方長男照夫(14)・同村字小奴可農業山下利徳方長男豊伯(7)のいたずらであった。 中国新聞備後版1949年(昭和24年)8月13日付

小鳥 原
2025年10月27日読了時間: 1分


道後山"山の家"開放
広鉄では進駐軍専用となっていた道後山"山の家"が移管となったので、一般登山者に開放することになり、10日"山の家"びらきを行う。またこれを機会に、広島と岡山から道後山行きのハイカーを募集する。出発は15日で広島発8時・岡山発7時57分。帰着は16日で広島着午後7時46分・岡山6時33分である。山では栗拾いと宝探し、カメラマン腕くらべ、夜は軽音祭やダンスパーティが開かれる。会費は1泊3食つきで650円。 中国新聞備後版1949年(昭和24年)10月1日付

小鳥 原
2025年10月27日読了時間: 1分
bottom of page