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1947年道後山ヒュッテ経営関連

  • 執筆者の写真: 小鳥 原
    小鳥 原
  • 2025年12月30日
  • 読了時間: 3分
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さつきの見頃 道後山はヒュッテに

深緑のシーズンに入って山ファンから道後山"山の家"が利用できるかどうかと広鉄当局にいろいろ問合せがくるので、広鉄ではつぎの意向を表明して一般の疑問に答えた。"山の家"は当分利用できないが、その上方に「道後山ヒュッテ」があるから利用されたい。もっともこのヒュッテは民間所有で鉄道経営ではないから、当局が直接登山客誘致の宣伝をやってはいないが、道後山駅長に前もって連絡すれば団体客などの宿泊は斡旋してくれるはずである。炊事・宿泊施設とも完備しており、120名くらいの収容力を持ち一日3食付で40円くらい(但し主食は持参のこと)5月下旬ごろから全山"さつき"の見頃となる。

中国新聞1947年(昭和22年)5月21日付


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身代り"山の家"ヒュッテを借入れ 道後山に広鉄名物二世

昨秋から使用できなくなった広鉄名物道後山"山の家"に代わって道後山ヒュッテが登場したが、同ヒュッテは地元の木村春枝さん(広島県比婆郡八鉾村)の個人所有で、バラック程度の廃屋に20万円を投じて手を入れ営業をはじめたものだが、個人資力では山の家に匹敵する施設ができず、収容能力も7,80名という貧弱さであり、かつ宿泊予約が鉄道を通じて行えないため遠方客のスケジュールに非常な不便と不安を与えている。そこでハイカー・スキーヤーの殺到が予想されるシーズンを前にして山ファンの間にヒュッテ広鉄買収運動が起り、広鉄もこれに大乗気となって買収折衝を開始。所有者の木村さんも売渡す意思のあることを表明したが売買価格35万円がガンとなって話は暗礁に乗り上げた。そこで広鉄では26日部長会議の席上、本問題を討議した結果ヒュッテ借入れに方針を決定。同時に電灯線引込みその他施設の改善を当局の手によって実施し、山ファンの期待に応える手段を講じることになった。

中国新聞1947年(昭和22年)8月30日付


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もう一つ"山の家" スキーに備える道後山

勃興するスキー熱に、広島付近の各スキー場はそれぞれシーズンに備えて設備の完璧を急いでいるが、交通不便がその全面的な利用を困難にしており、自然、芸備線で容易に行ける広島県比婆郡道後山にスキー客が集中することが予想されている。しかし鉄道省の「山の家」は進駐軍に使用されており、先ごろ広鉄が借用経営することとなった旧ヒュッテも押し寄せるスキーヤーを全部収容することはむつかしいので、「道後山スキークラブ」の木村雄一氏が中心となり「広島山岳会」と共同経営で道後山の頂上近く岩樋山との鞍部に「樋後小屋」を新しく建築することになった。新しい小屋は2間に3間で資材・労力とも両名が持寄り、地元八鉾村青年団の協力を得るもので、すでに工事に着手しており、かん木の刈取りやバーンの整備もあわせて行われ、完成の後は鳥取県の大山まで行く必要のない完璧なスキー場となるので期待されている。

中国新聞1947年(昭和22年)9月17日付


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道後山ヒュッテ店開き 11月1日から

「道後山ヒュッテ」はこのほど広鉄の借入れが正式に決定したので、11月1日から広鉄当局の手で営業を開始する。宿泊料一泊20円、食事料三食50円(但し主食持参)で、部屋は6畳・8畳各2間、10畳1間、大部屋1間で収容力130名となっている。

中国新聞1947年(昭和22年)10月22日付

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