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- 小鳥 原

- 10月24日
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省営トラック試運転終る 宿願叶う生山多里間運輸開通
伯備線生山~多里村伯耆新屋間貨物自動車運輸開通式は28日午前11時から生山駅前において挙行されたが、先ず生山公会堂において修祓式を執行。次いで鉱泉旅館で懇談会を開き、佐藤経理課長の挨拶に次いで詳細な経過ならびに運輸状況をのべ、来賓を代表して豊田県土木課長の謝辞・生山多里間鉄道運輸既成会長入沢廉氏の20か年実現に奔走したる苦心と今日の開通の喜びを讃えて謝辞をのべ懇談を終って、終点までの1往復運転に試乗散会した。
搬出される資材 歓喜満つる日野郡多里村
日野郡多里村では20数年来の宿願であり、その間悪戦苦闘を続け来った生山駅から多里村に至る鉄道敷設運動も時節柄鉄道敷設の実現にはならなかったが、その第一歩として5月1日から省営貨物自動車の開通を見るに至り、同村竹内静雄氏の邸宅を事務所として寺田助役を主任に鉄道職員27名が在宿しクローム鉱石・薪炭材その他の物産搬出や物資購入にも多大の便益と恩恵を受けることとなったので、多里村民の歓喜は弥が上にも高まり、将来愈々決戦下における職域奉公に万全を期し国家の期待に副うべき鉄壁の決意を固めているが、斯くて5月1日午後5時から同村国民学校において祝賀会ならびに鉄道職員歓迎会を開催して祝意を表することになった。
日本海新聞1943年(昭和18年)5月1日付

省営自動車一帯はさながら宝の庫だ 更に次ぎの飛躍を待望
湧き立つ声 地元奥日野の活況
奥日野はじめ広く鳥取県下および地方一帯の多年の待望であった生山多里間の省営自動車の運転は、三度び運動のかたちを変えて本年本月見事実現を見、実現期成会の会長であった入沢廉氏を中心とする奥日野郡有力者並びに実現のために多大の犠牲を払った日野貨物自動車有限会社の代表者久代直太郎氏を首班とする重役陣の喜びは大きい。それと共に省営自動車が主なる目的とする鉱物の荷主である広瀬若松・稲積・日野上(河上)各鉱山のの喜びも大きなものがある。3トン積みの大貨物自動車〇〇台(戦時検閲)を生山駅前の車庫と多里村の入口に設ける車庫に分駐させて、多里村の車庫の向こう側に建設する合宿並びに生山・日野上・多里両村に住居する多数の従業者を擁して去月末佐藤大鉄管理課長・飯田米子管理部長・県より豊田土木・村岡林務・森本保安各課長等多数のの人々が来場して懇談会および公式試運転、期成同盟会主催懇談会などが行われ、いよいよ1日から生山駅前から多里村新屋迄19キロの運転が開始され、多里村では午後5時から国民学校で祝賀会が催された。本格的能力が発揮されるのは未だとしても、3トン車1台が3往復したとして20台を動かせば1日に最低180トンの貨物が駅前に積まれる訳だから、生山駅も積込場の改造を余儀なくされている。主要貨物である4鉱山の鉱石にしても、今までの状態では貨物自動車の運搬が不正確で、数日間1台も来ないと思っているとふいに20数台も一度に押しかけたりして面食らっていたのだが、汽車の時間のごとく正確な運転によって配車されるのだから作業が正規化して能率増進に大助かりである。生山駅を発して八戸・多里新屋に停車場が設けられ、一番奥の広瀬若松両鉱山は県道を離れて奥の積込場まで、稲積鉱山は河路をつけるまで現在の県道側の積込場まで、日野上鉱山は現在の県道よりの積込場まで発着して運送店の手で積卸しがされる。多里の四鉱山で漸く最近に至って有望鉱脈を探り当てた処だから、尚相当の寿命をもっており、6~7%のの含有量から採算がとれるクローム鉱だから前途有望だ。県下の街道沿線で物資の豊富さはこれが最高だと自負する路線だけに、米・木炭・木材・鉱石と供出資材は素晴らしい数量にのぼる。これが一定した運賃で正確に輸送されるのだから関係地方民の喜びに大きなものがある。しかし生山多里間鉄道運輸期成同盟会の仕事はこれで終わったのではない。地方民は最善の協力をして省営貨物自動車の運輸完成のみにとどまらず、この成績を土台に鉱山労働者及その家族の居住地が多里村を中心としている点から省営旅客自動車の運転にまでこれを発展させなければならないと今から次の運動へのほぞを固めている。
そしてこの省営旅客自動車の運転はやがて別のねらいとして奥日野郡民の春夏秋冬の錬成道場として道後山の利用価値を広島県側から鳥取県側に取り戻すこととなる。ともあれ今回の省営自動車運転開始は奥日野開発に非常に大きな原動力を興えたものであり。その意義はまことに絶大なものがある。
日本海新聞1943年(昭和18年)5月3日付

トラック競争 是非実現させたい多里・生山間鉄道
生山~多里間は戦前より鉄道敷設を要望する声高く、これが運動もしばしば行われたにもかかわらず客観情勢により今日迄実現を見るに到らず、薪炭・クローム鉱などは専ら貨物自動車によって輸送されている現状で、従ってコストも高価につき種々不便を感じるので是非実現さそうと多里村長倉本忠男氏を中心に有志が運動に乗り出すべく腹案をねっている。
現在生山~多里間の貨物輸送は、国鉄自動車と民間会社が激しい競争を行い、国鉄生山自動車区はトラック20台を常備、日通等の民間会社は2社で18台を有し、運賃の引下げサービスの改善等をなししのぎを削っているが、国鉄は運賃割引は不可能な為、民間会社が今の所は有利なもようで、4月頃より輸送量も1日40トン以上減少し収入も4月頃は1日約6万円上げたのが今日では49,000円程度に低下している。
日野川時報1949年(昭和24年)8月中旬号


