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線路変更の意見

奴可郡東城に岳東狂士なるものあり、頃日両山鉄道敷設の計画を聞きて線路変更の意見を差出したり、鉄道に対する前途の利害得失を考査して後断案したるものなりと云うと言えどもその説の可否は本社の関する所にあらず、只参考の為その要旨を左に掲ぐ。
線路は三上郡庄原より西城を経て横田に出づるを東城を経るに変更するにあり
抑も庄原より西城を経て横田に出るの里数は大約14里なるもその間所々に難工事ありて三井野の如きは2,3哩の隧道を築かざるべからずと、而して西城村大字西城は四面高山に囲まれ恰も薬研の如く、人家は軒を連ぬと言えども僅かに300内外にして近傍の旧村は大佐・平子・栗・入江・熊野・中野・中迫・大屋・八鳥に過ぎざるなり、之に反して東城村の東城はその地勢四通八達にして商売又た軒を連ねその数実に西城に倍し商売の繁盛・資産の豊富共に庄原に下らざるなり、而して東に新見・東北に上市・東南に吹屋・南に油木・西北に小奴可・西に庄原あり皆一小都邑にして近きは3里・遠きも7里に過ぎず、殊に吹屋の如きは三菱会社所有の銅鉱ありてその製銅高は本邦第三を以て称せられ紅殻製商の年々九谷その他へ粥ぐ金額は10万円余なりと、此吹屋の輸出荷数と東城・庄原・新見・上市・油木・小奴可の合荷数を対比するも到底前者の過半ならざるなり、而してまた東城・新見・上市・油木・吹屋・小奴可・庄原の間に羅列する旧村を挙げれば坂本・上下神代・矢田・畑木・大竹・八鳥・大野部・西山・東西湯野・田淵・蚊屋・小野・新免・永野・三坂・相渡・本・未渡・始終・山中・宇山・久代・戸宇・東城・川西・川東・福代・粟田・受原・菅・竹森・田黒の諸地なり、故に線を庄原より赤川・本・始終・山中・宇山・戸宇・東城・川西・受原・菅・田黒・小奴可・小鳥原の内字アマベ山より坂根を経て横田に至るに変更せば里数2里許の遠きも三井野の如き隧道を築くの難なく随て工費の減少を来すべし、聞くところによれば隧道1マイルを築くの費用は尋常工費額の10倍を要すと、果して然らば三井野の隧道築くの費額を以て変更線3分の2余りを築くを得べし、庄原より西城を経て横田に出るの工費を以てせば変更線と東城より吹屋へ達する支線を架して尚余りあらんか云々

芸備日日新聞1895年(明治28年)2月22日

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