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伊達哲次氏殉職関連

ガケから転落死

庄原市三日市町、鉄道通信工手伊達哲次氏(41)は24日午前10時半ごろ、比婆郡西城町大字小鳥原小学校東方約100メートルの地で電話線の測量作業中、ガケが崩れて西城川に転落、前頭部頭ガイ底骨折で西城病院に収容、手当を加えたが意識不明のまま同12時ごろ死亡した

中国新聞1956年(昭和31年)5月26日付

伊達氏に勲八等瑞宝章

内閣貴勲部は18日、庄原市板橋町、国鉄職員伊達哲次氏に、勲八等瑞宝章および木杯1組を贈ると発表した。

中国新聞1956年(昭和31年)6月19日付

『魔のガケ』に殉職碑 落合駅信号通信分区
一周忌に同僚10名が建立

"ふたたびあやまちを繰り返さないように"と殉職した同僚のメイ福を祈って一周忌を前に殉職記念碑が建立された。芸備線備後落合駅構内信号通信分区の工手だった伊達哲次氏(当時41)=庄原市板橋町出身=が昨年5月24日午前10時ごろ落合駅から道後山駅寄り3キロ余りの地点で川向うの鉄道電柱と平行して線路に携帯電話とりつけの電柱を立てるため距離を測定中足もとがくずれて一瞬にして30メートル下の谷川に転落死亡してから早くも一周忌を迎えるが、温厚篤実で同僚から信頼されていた伊達さんだけにありし日の伊達さんが忘れられず、同氏のメイ福を祈るとともに、再びこうした犠牲者を出さぬため伊達さんの殉職記念碑を建立しようという話が岡鉄福山信号通信区長の岡本寛氏からもち出され、同分区で話がまとまり「金額にこだわらず心のこもったものを」ということで、分区員10名が休暇や巡察を利用して数ヵ月もかかり沿線の谷川を物色、備後八幡駅前の川床で高さ1メートル・重さ50貫の適当な碑石を探し出し3,500円を出し合って碑名を刻んでもらったほかは、10名の分区員たちの手で記念碑の建立工事一切を行い、このほど殉職現場付近に据えつけを終った。
現場は上方へ70メートル・下方へ30メートルの切岸で碑は鉄道線路に面し、電柱に寄り添うように建てられてある。同所は鉄道敷設当時難工事であったところで開通後もすでに2人の犠牲者を出し魔の崖(ガケ)といわれている。

落合通信分区長矢部久男氏の話
​伊達さんは尺八が上手で、たしか上田流の師範でした。宿直の晩などみんなで習ったものです。伊達さんはいまもバク進する列車をながめて感慨深いことでしょう。

中国新聞1957年(昭和32年)5月23日付

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