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高松宮殿下のスキー行幸

1951年(昭和26年)2月、スキー好きで知られる高松宮宜仁(たかまつのみやのぶひと)親王(以下殿下)が、大山スキー大会の帰路道後山に立ち寄ると決まったものだから、関係者や地域住民は大童である。このあたりを皇族が訪ねるのは、おそらく後鳥羽上皇流刑以来およそ700年ぶりのことだから仕方ない。広島県スキー連盟は、会長はじめ上層部総出で迎え、もてなすこととなった。
2月13日、大山での仕事を終えた殿下が木次線に乗り、途中三井野原に立ち寄り、備後落合駅に到着したのは15時57分のことであった。ここから自動車に乗り換え三坂集落を通り道後山の麓へ、ふもとから雪中行軍を行い、中腹の国鉄山の家に着いたのは17時。すでに夕闇迫っていたが、殿下はさっそくスキー板を履き、山の家の裏山を検分した。
山の家ではスキー連盟の町井剛会長・竹内皐副会長をはじめ連盟幹部が接待。またガイドとして地元スキーヤーの中島孝美も訪ねたほか、地元有志による神楽公演も開催。これらのもてなしを大いに楽しまれたが、やはり一番はこのスキー場だったようである。このあと20時30分から夜の山に出て、1時間半の間スキーに勤しんだ。ちなみに殿下はこれが初めての夜間スキーだったそうである。狭い斜面ではあったが、雪が締まって滑りがよく、回転の練習を繰り返し行った。
翌14日は吹雪だった。道後山の山頂目指し登山を開始。たたら製鉄の跡を眺めながら岩樋山の登頂を果たしたが「この吹雪ではこれ以上進んでも面白くない」ということで断念。山の家に戻ることになった。昼に山の家から麓までスキーで滑り降り、12時43分道後山駅を出発。帝釈峡や三次に立ち寄りながら帰京したのは19日のことだった。
​後日、「雪の質やスキー場の設備は、今回の旅行の中で一番よかった」とお褒めの言葉を貰い、関係者は大いに安堵したという。

参考文献
高松宮殿下のスキー随行記:小川勝次
​広島県スキー史:広島県スキー連盟

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