top of page

広島県最初のラジオ

日本におけるラジオ放送の始まりは、1925年(大正14年)3月東京のJOAKによるものである。では広島県においてはどうだろう。これがどうも東城町の野上民三郎(のがみたみさぶろう)宅だというから驚きである。

東城という山間に生きながら、世の動きに人一倍敏感であった野上氏は、東京でラジオの放送が始まるという話を聞きつけるや否や、いち早くラジオ受信機を手に入れることを思い立った。だが果たして東城でラジオを聴くことが出来るのだろうか。町でも特に電気に詳しい者に問いただしてみたが、ハッキリした回答は得られない。川下の発電所で高圧送電をしている影響で電波妨害が起こるとか、城山が邪魔をして電波が届かないとか、確信の無い話ばかりである。
ともかく野上氏は東京へ出かけ、受信機1台を買い求めた。幸い放送局の説明によれば「山があるからといって電波が届かなくなるということは無い」という。ラジオのパンフレットも読んでだいぶ自信もついたので、いよいよ野上氏は受信機と技術者を連れて東城へ帰った。
このとき野上氏が購入したのは真空管受信機だった。東京でもほとんど鉱石受信機だった頃に、より高性能の真空管式を手に入れたのだから大したものである。この受信機のほか、拡声器や電池なども含めると一式460円(現在の価値で40万円程度?)だったそうだ。
さて、東城に帰る道中も大変だ。高価でデリケートなラジオの部品を、汽車や自動車の揺れから守らなければならないからである。特に気を揉んだのは最終盤、岡山から東城までハイヤーに積んで帰ったが、わざわざ真空管を抜き取り別に保持して振動を避ける気の使い方であったという。

こうして東城にラジオ受信機がやってきたのが、1925年(大正14年)の初夏のこと。さっそく野上邸の棟の間にアンテナを、裏庭にアースをしつらえて、スイッチを入れてみると、かすかに感じがある。まずは成功なりと胸をなでおろし、翌日にはアンテナをさらに高く張ってダイヤルを回してみた。すると物凄い雑音はあったが、それに負けない相当の声がスピーカーから流れてきた。
何しろ当時のラジオ電波は弱く、雑音が多くやかましい。それでも町はもとより広島県下はじめてのラジオということであちこちから見物人が訪れる。学校からも一隊を引き連れて聞きに来る。あるいは県庁からも噂を聞きつけて視察が来たそうだ。
野上氏もはじめは自慢気も手伝って、よろしくサービスしていたが、こうも毎日昼夜いとわず家の座敷を占領されてはたまったものではない。そのためスピーカーを玄関の横に据えて、土間や道路で聞いてもらうことにしたが、それでも相当の期間、黒山の人だかりがあったという。

​やがてこのラジオブームも過ぎ去り、広島県で最初にラジオ放送を流した受信機も同町の近藤家に売り渡された。近藤家はこの受信機をじっくり研究し、やがて東城において右に出る者のいないラジオ技術者を次々に生み出したとされる。

bottom of page