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天狗の祠

ドライブインおちあいの辺りで2本の国道が合流するが、ここから国道314号線を油木方面に500mほど進むと、西城川の向こう岸に天狗岩という岩山が見えてくる。今は草木に覆われて見えないが、この岩山の直下の川面から5m位の高さの所に銅板葺の立派な祠があり、その右側に1トンはあろうと思われる大きな石が3個重なっている。この祠は「天狗の祠」又は「天狗さん」とよばれ、三個の巨石は塚石と言われている。
その昔、天狗岩の上にカラス天狗の親子が住んでいた。親子は魚が大好きだったから、眼下の大川へ下りて魚を獲って食べていた。ある日親天狗はこの川を堰き止めて魚を獲ろうと思って、岩山の上から岩を谷へ投げた。ところが下の川で魚獲りに熱中していた1匹の子天狗に当たって、とうとう死んでしまった。これを知った親天狗は大いに悲しみ、巨大な塚石を三つ重ねて子天狗を弔ったという。
また、山の持ち主である小鳥原村の庄屋は、灌木拾いが山で子天狗の遺骸を見つけた話を聞くと、岩の下に祠を立て手厚く葬ったという。これが「天狗の祠」の始まりであるが、これが享保年間(1716~1736)の話だそうなので、この祠はかれこれ300年近い歴史を持つことになる。
さて、この辺りの山は昭和初期に吉尾政行という人に売り払われた。買った山に「天狗の祠」があると知った吉尾さんは、
「私がこの国を動かすことができるほど運が開けますように…」
​と願掛けをしたところ、少しずつ運勢が上向いてきたという。さては天狗のご利益だと、昭和6年に祠を建て替えてあげると、商売ますます繁盛し小奴可村にチップ工場を建設。さらに大阪に進出し銘木店を開業し成功を納めた。それからも吉尾さんの天狗信仰は続き、昭和41年に再び祠を建て替え、祭も開かれた。彼の死後も商売は子供に引き継がれますます発展し、そして子供たちも天狗を祀ることを欠かさなかったという。

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