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賛成爺さん
(さんせいじいさん)

昭和の初め、東城で三神線の敷設工事が始まろうとしていたころ、比婆郡帝釈村(現在の庄原市東城町帝釈地区)に、奇妙な爺さんが現れた。
長い白髪に長い白ヒゲ、ボロボロの和服にインバネスを羽織り、肩に小学生が使うような粗末なかばんを掛けたその出で立ちは、ハッキリ言って異様だった。その爺さんは村の家々を訪ねては、決まってこう言う。

「鉄道を付けるから、賛成してください」
そう言ってかばんから帳面を出し、署名を求める。どうやら爺さんは署名活動を行っていたようだ。
子供たちからは気味悪がられ、ときには帳面に心無い落書きをされることもあったが、帝釈村の人々は総じて爺さんに優しく、飯をあげたり、家に泊めてあげることもあった。「賛成」を求める以外はおとなしかったし、当時農村不況に喘いでいた村の人々も鉄道が通ってほしいという願いは爺さんと同じだったのだ。
いつしか「賛成爺さん」と呼ばれるようになった爺さんは、それから年に1回は村を訪れ、「賛成」の署名を求めて村内を回った。
しかし昭和10年頃、1月の寒い雪の日、鬼の岩屋近くの窪地で賛成爺さんが事切れているのが見つかった。
たまたま通りがかった猟師に見つけられた爺さんの亡骸は、引取りが来るまでの2日間、始終地域の人々が交代で見張ってあげてたという。

のちに警察の調べで分かったのは、爺さんの正体が双三郡吉舎町(現在の三次市吉舎町)に住む
「コウノニキチ」という人だったということである。
しかし、爺さんがどこからどこに鉄道を付けようとしていたのか、
なぜいくつも山を隔てた帝釈村まで「賛成」を求めてきたのか、それは結局分からずじまいである。

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