時も折り、東城駅前通り近く寿劇場に東京歌舞伎名題市川八百蔵大一座がかかった11月30日夕、同優十八番2幕目俊寛の開幕に観衆の湧き立つ7時2分、鳴り渡る火災警笛、素破こそと飛び出せば附近駅前通りヨナゴカフェーの後部2階当りを中心に巻き上る異様の黒煙。まだ火焔は見えなかったが間もなく北側の窓より火を吹き初め大事に至った。少し後れて消防隊が駆けつけた時は火は全館にはびこり、上川西の腕用ポンプ・第4部同上は表より、第1部キャスリンポンプは裏の川より必死に水を注いで漸く北部は津村写真館迄で防ぎ止めたが南部中島方面は水が来ぬ。その内熱火は街を越えて沖野洋裁の2階屋根に移った。北隣の日田氏宅も危くなる。殊に南隣は清水ギャスリン店なので冷や冷やする所に幸に山本鉄工所のギャスリンポンプが社長指導の下に駆けつけ中島旅館を北部半焼に食い止める偉業を樹てる。この時は已に北方は消火され、終にヨナゴは同館内花住事務所赤木事務所と赤玉館は高木礼一・阿部・松崎・黒川氏等と津村千太郎氏宅都合8世帯を全焼し、南は中島旅館半焼で鎮火したが、一時は永峯氏宅も危く火は東城駅迄も駅前通りを一掃するかに想われたが幸に風がなかったのと消防の奮闘で、9時鎮火した。而し延焼免れても清水・沖野・日田・川上・末広・瀬尾医院・ヨナゴ床・溝愿・赤木・養浩荘・宮田・永峯氏等大小被害は相当あって近来の大火と云われ損害も500万円下るまじく、火元原因等目下警察で調査中だが、芝居見物で留守が多かったのも大事に至った原因の一つ。
新声新聞1947年(昭和22年)12月3日付
駅前大火の火元原因未確定?
11月30日夜駅前大火の火元原因等に就ては世上議紛々、或はヨナゴの風呂場の煙突又は女人部屋の炬燵からなどと評するあれば、また赤木春夫氏宅の炊事窯の煙道からとも云われて不明。両者また承服せざるものの如く警察では厳重取調べ・証人検べ等もして一件書類を送局したが、一方当の赤木氏は自家出火を断固否認し、当時朦々たりし黒煙の出所を語り、又某氏が初め消火の為め自家の煙突に注水せりと云うを事実不可能な話だと一蹴し、其他一々例証して此上は唯あく迄公正なる法の裁きを受くるのみだと語っていた。
新声新聞臨時号1947年(昭和22年)12月19日付