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山の家にも戒律 かくあるべしスキーヤー

執筆者の写真: 小鳥 原小鳥 原

お正月も迫り各地のスキー場もぼつぼつ雪化粧され、広鉄管内では道後山がもう一降り滑れるところ。吾妻山は40センチの積雪で、スキー可能との嬉しい各地の雪便りがもたらせれているが、さて今年の冬は新体制下の心構えで雪に親しもうと広島鉄道局では、道後山「山の家」の規律を強化、日常の日課を次の通り定め、真の冬季スポーツとしてのスキー道場を建設することとなった。

午前7時起床、7時半までに洗面、7時30分から談話室に集合して東方遥拝・黙祷・国旗掲揚・互礼など朝礼式を行い、午前9時までに朝食、11時30分から午後1時30分までの間に昼食、午後4時に国旗降下、これには山の家に居合わせたものは全部参列、その他のスキー中のものはその場で国旗へ敬礼し午後5時から7時まで夕食、8時までに入浴、午後10時一斉に消灯・就寝となっている。

中国新聞1940年12月27日付

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