ローカル線をゆく芸備線<6> ヒョウタン駅 増収を願いアイデア
小高い山の県境を越え広島県に入ると、初めての駅が東城駅。タクシーがのんびり客待ちをする駅前広場に、今年も見事なヒョウタンがなった。秋風に揺れる姿は、いかにもユーモラス。ほのぼのとした旅情を誘って、この山間の駅の名物になっている。
「岡鉄局管内でヒョウタンが見られるのはここだけでしょう」と則武宣明駅長(54)。昨年3月に着任。お客さんが珍しがるだろうと、ミニサイズの千成ヒョウタンを植えた。
今年はもっと目立つ大型を狙って中国原産と普通の苗2本を植栽。駅員の世話ですくすく育ち、今では個性的なプロポーションを誇るものばかり。胴がぐっとくびれたグラマータイプ・長さ40センチのスリム型。小さな時にちぎられて数はわずか7個になったが「行楽客が写真をとったり、町の人も見に来たり、結構人気ものになっています」と則武駅長。ぜひ買いたいという申し入れや、種の予約が相次いでいるという。
東城駅にはアイデアマンが多い。
たとえば管轄の無人8駅の意見箱。駅員がいないだけに、利用客の意見や要望をくみ取る方法として昨年5月設置した。国鉄関係者にも好評で、他駅にどんどん広がっている。町民との触れあいを深めるため秋の東城町まつりへも参加している。東城駅特製の法被を着て、駅長を先頭に鉄道部品の展示・即売をする。毎年鉄道マニアがつめかけ、人気の懐中時計などはアッという間に売り切れた。「今年も11月にあります。どんな内容にしようか」と、則武駅長は今から楽しそう。
このほか"電話一本で自宅にお持ちします"の切符の出前・改札口の担当者の名札掲示などもユニーク。
ヒョウタン栽培も実は"他より目立ちたい""多くの人に駅に来てもらい、なんとか増収に結びつけたい"との期待を込めたもの。のどかな風情とは裏腹に、ヒョウタンを見つめる駅員の思いは熱い。
山陽新聞夕刊1985年(昭和60年)10月15日付
ローカル線をゆく芸備線<8> タヌキ一家 7匹?すっかりなつく
「声をかけて投げえさに成功」(6月20日)
「親子そろって登場。えさを食べるのは子供が先。親は周りの警戒を怠らない」(8月7日)
「我々に驚きと喜び。子供が4匹もいた。カメラのフラッシュにも動じない」(8月12日)
芸備線と木次線の分岐点―備後落合駅は標高452mの山あいにある。6月以降、この駅に裏山からタヌキ一家(7匹?)がやって来るようになった。これは宿直者がその愛らしい動作を記録した「タヌキ日誌」である。
事務室から2m先のプラットホーム。皿にはタヌキの大好物のあんパン・レバー・それに牛乳・うどん…。雨の夜にもずぶぬれになりながら2匹から5匹が連れ立って現れる。「最近はえさがないと事務室をのぞき込むんですよ」と梅林靖駅長(52)。運転主任の滝口昭さん(43)は、一番面倒みがいいことから、同駅では"タヌキ主任"でとおる。「弁当を分けてやったり、ラーメンも作って与えます。旅館の残飯をもらっていますが、えさの確保が大変です」と言いながら「声をかければ振り向くほど。かわいいもんですよ」と自然に目が細くなる。
見学者も増えてきた。同駅では「タヌキ入場券やタヌキ列車を計画しようか」と、楽しい話が出るようになった。
気温6度、急に冷え込んだ今月初めの夜、島根大2回生の○○君(21)=岡山県出身=ら2人が、待合室で寝袋にくるまって観察していた。○○君はタヌキの生態を研究中だが「こんなに近くで見るのは初めて。毛のつやがよく美しいい」と終始、興奮気味だった。
だが駅員や見学者にとって気がかりな時期が迫ってきた。11月15日、この付近の山でも猟が解禁になることだ。梅林駅長は「近所の人も"とるべからず"の看板を立てたら、と心配してくれます」と言う。
「猟師の罠にひっかかるなよ」「いつまでもやってこいよ」―滝口さんたちはすっかりなついた"夜の訪問者"の身を案じながら、豪雪の冬を過ごすことになる。
山陽新聞夕刊1985年(昭和60年)10月19日付