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執筆者の写真小鳥 原

この道かけて⑧ 道後山の"お母さん"木村春枝さん

標高1,269mの県立公園道後山。この家の料理部で、広島市にピカドンの落ちたことも知らず調理・配膳に20年の努力を続け"山の守護神"とまでいわれる木村春枝さん(41)を紹介しよう。

山の家が開設された昭和14年12月には早くも菩薩の亀一歩が訪れ、最愛の夫の蓮市さんが黄泉の旅に出たまま帰らず、悲しみのあまり下山しようかとまで追い詰めているころ、新春を迎えてスキーヤーが4人・6人と訪れ夜のストーブを囲んで楽しい満ちたりた笑顔でダンランする姿を見た時「そうだ―この山をしたって来る人々のために―一生涯を山にささげよう」と開設、四季のめぐり来る山の家を住家として幾星霜、管理者道後山駅長も初代角利八駅長から現在の勝山駅長まで11代、シナ事変から終戦―そして食糧難の戦後を女手一つで切り回し世の荒波と闘い続けたシンの強さは「山を訪れる人々」のためのものであり、主人の意思を受け継いで雄々しく生きるたのもしい姿でもある。また「山を愛することは、山を知ることだ」として冬山のスロープでスキーを楽しみ、いつの間にか3級のバッチ・テストに合格していたというのも山を育て、山をマクラに生涯を共にする決意のあらわれであろう

道後山の生きた百科事典といわれ…そして山の家のお母さんとしたわれる木村さんの話題は料理にまた自らもスキーヤーとし、またハイカーとして四季の登山客をあかせないだろう。

中国新聞1957年(昭和32年)3月29日付


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